FIVE TENの歴史


クライミングシューズ市場をリードする、ファイブテンの歴史について 

スタート - スティッキーラバー

ジョシュア・トリー (米国 Joshua Toree )やヨセミテ(Yosemite)での新ルート開拓をしていたチャールズコール氏が、1985年「FIVE TEN」を設立しました。コール氏はサウザン・カリフォルニア大学で理学士 (エンジニアリング)、ミシガン州立大学で経営学修士(MBA)を取得しました。 MBA取得後の夏、彼はヨセミテに戻りビッグウォールにチャレンジしました。ヨセミテの花崗岩での登下降では、彼の履いていたテニスシューズでは十分な摩擦がないことに気が付きました。そこで、幾つかのクライミングラバーを見つけ、彼のテニスシューズに装着してみました。結果、彼のテニスシューズのハイブリッド(混合)ソールに摩擦が生れました。この発見は、彼にスティッキーなラバーを使用してハイキングシューズを生産してみようと決断させた瞬間でもありました。

コール氏はカリフォニア州テクニカルカレッジ(大学)でラバーの研究を開始しました。そこで、彼は世界市場に存在するどのクライミング用ラバーより摩擦があり、ロックに吸い付くラバーの開発に成功しました。彼と彼の家族は、開発後すぐに彼の開発した「FIVE TENステルスラバー」をイタリアのクライミングシューズメーカーに流通させました。同時に、コール氏家族はステルスシートの販売もスタートすることにより、クライマー自らソールを張り替えられるようになりました。結果、どこのブランドシューズを持っていても、スティッキーラバーを張り替えることを可能にしたのがFIVE TEN社でもあります。

1985年後半、「FIVE TENNIES (ファイブテニー)」がブームになりました。このハイブリッド・クライミングアプローチシューズの成功はあっという間の出来事でした。初めてスティッキーラバーを使用したこのシューズ は、荒れたアプローチやがれ場をカジュアルに歩けるようにしてしまいました。

FIVE TENのアプローチシューズ・クライングシューズ、張り替え用キットは大変革新的であった為、アメリカ人のクライマーやアドベンチャーにとってファーストチョイス (第一選択)になるまで時間がかかりませんでした。

その後、ファイブテンはヨーロッパおよび、日本を含めたアジアに販売拠点を置き、世界中にその高いパフォーマンスが認められるようになりました


Q マニアッククイズ: ファイブテニーの誕生は今はなき「岩と雪」の何号に載っているでしょうか?
 なんと国内輸入元が決まる前に紹介されていました